2018年 11月 14日
ピレネーの山奥の小国 アンドラへ行ってみる |
少し前の話ですが、秋休みにアンドラに行ってみました。
農地物件を見にナントに行くかどうか迷っていましたが、めぼしい物件がなかったので、ここは気分を変えて、久しぶりに山へ。割と近いのに今まであまり行かなかったピレネー山脈をうんと堪能しようということで、アンドラに行ってみました。
ペルピニョンからもっと山のほうに行って黄色い電車 train jauneに乗ってみたかったのですが、電車の発着駅付近の気に入っているキャンプ場ももう閉まっているし、貸しアパートも近辺に選択がなかったので、それならアンドラにと。
ギリギリ予約した貸しアパートもとても手ごろな値段でした。[平日だったからかしら?]
でも建物も道路もインフラがしっかり整っていて、フランス[トゥールーズ/フォワ方面]からアンドラに入ると、鄙びた山奥の寒村から一気にグレードが上がります。
貸しアパートの近く、アンドーラ ラ ベリャから2キロのサンタ コロマ教会、 9世紀のもの。
サンタ コロマ教会から小道が続いており、昔ながらの家が数件見られます。
なんか干してあるけど? たばこです。
首都アンドラ ラ ベリャでさえも とてものどかで、前に住んでいた南アルプスの街を思い出します。
山間の街なので、ありとあらゆる土地を有効利用。少し上っただけで街の喧騒がうそみたい。階段状の土地にテニスコートあり、農地あり。果樹園あり。
アンドラ ラ ベリャの中心地から少し登った散歩道 Rec del sola は灌漑システムも整備されてます。
首都の景色が見下ろせて、整備された石の道もとても気持ちいい。
なんかの話のついでか貸しアパートのマダムが流暢なフランス語で、ここでは子供の誘拐はないわよ。子供はここでは王様[=宝]なのよ。と言ってました。
確かに失業率も低そうだし、酔っ払いの浮浪者も見なかった。仕事はみんなの分あるようで、子供はこれからの貴重な担い手になるので大切にせねばというスタンスなんでしょうね。
小国[面積は日本の横浜市とかと同じくらい、人口は8万人、比べて横浜市は370万人]だから政策も上手くいくのかもしれないけど、本来どこの国でもそうあるべき姿なのに悲しい事件がやまないのは何なんだろう。
なので勿論殺人など凶悪な犯罪はめったに起きない国なのでしょう。 確かにデーターでも犯罪率が一番低い国のトップでした。。
人口8万人だから長いこと暮らしていたら、みんな顔なじみになりそうで悪いこともできなさそうです。
アンドラといえばタックスヘブンの国なんて言われていたから、そんなイメージはおぼろげにあったけど、実際のところタックスはあります。ブランドものには縁がないけど、モノによってはフランスやスペインのほうが安いものもありそうです。
庶民のブランド,zaraなんかはフランスより若干安め。[28€でかったものがフランスでは35€で売っているのを発見。では20%お得ということでしょうか。]
お酒、たばこなんかは断然安い。タバコは吸わないので友人の分を買うだけ。でもここ最近さらに値上げが続いているので、大人2人分免税量マックスのバケツサイズのものを買ってきたらとてもありがたがれました。[自分で巻く用のたばこ葉です。]
ありがたいのはガソリンもです。去年からかなり価格が上昇しているんでタンクごと買いたいくらいです。国境付近ではガソリンを満タンにしている人でいっぱいでした。
あと首都アンドラ ラ ベリャのメインストリートから車のディーラーや部品屋さん、修理屋さんが並んでいるから車やバイク関係も安いんじゃないかと思います。
住民はさぞかし喫煙量とガソリン消費量がこれではアップするのではと思ったら、朝から葉巻煙草をくわえてバカでかい4駆でご出勤というムッシューを目撃。
週末はフランスとスペインから多くの人が買い物で押しかけて、税関を通るのに3時間待ちも当たり前なんて書いてあったので、平日のみのステイにしました。金曜日の午前中は国境の税関のチェックもなく簡単に出国できました。しかしピレネーの山を下って50キロくらいのところで憲兵グループに止められました。
[どこから来ましたか?][アンドラです。]なんて言うと、彼らの眼付きがギラっと変わりましたが、お酒、たばこの量を正直に答えておしまい。口答のみです。まあ健全な家族の小旅行ということで。これが若造グループなんかだと、綿密なチェックが入るかもしれませんね。
このアンドラ、よくもフランスとスペインという強国に挟まれながら、よくなんとか舵取りをしてきたなーと感心してしまう。
何なんだー、その秘訣。旅の前に勉強もしてなかったので、そこで見たものでまとめたら、だいたいこんな感じかと。
きっと昔はかなりの寒村でなにも目立った資源もなく、フランスもスペインもこの地域をめぐって 戦争を仕掛けるほどでもなく[まあ いいか。]とそっとしていたんでしょうね。これで例えば石油なんて出たら話は違っていただろうけど。タバコ産業などでなんとか凌いで、戦後は方向を変えて一大リゾート+タックスフリーで収入確保というわけで時代の波にうまく乗っているんではないかと。
ユネスコ世界遺産認定のマドリウ・パラフィタ・クラロー渓谷に行ってみました。
旅行中かなり風邪気味だったので、観光局おすすめの平坦であまり歩かなくていいコースを選んだつもり。でも登る、登る。 登った先は行き止まり。駐車場で間違ったコースを選んだようで。
でも牧歌的な風景はきれいでした。
駐車場までひきかえして、例の湖に着くおすすめコースを。標高は1500メートルに関わらず、ほんとうに平坦な広い道を40分という、なんともお手軽なハイキングコースで人口池に着きました。風景はとてもきれいだけど、やっぱり南アルプスで山に親しんだ身としては物足りない。
気分は日本のお城のお堀の周りを歩いている感じ。犬の散歩コースのようでもあります。
そこで 標高は2000メートル以上だけど、家族でも2.3の湖[池]を周れるコース,estanys de tristainaを次の日に試してみることに。ordinoから続くアンドラの奥地、フランスとの国境ちかくです。
あいにくその日はコースの発着点に行く道路の途中、トンネルが工事で9時から16時30分まで不通。まあ諦めて帰ろうかと言った矢先、その湖に行けるコースを発見。2時間。
まあ2時間なら行ってみようかと牧歌的な道に惹かれて出発。しかし自分たちでは気づいてなかったけど、連続上り道の2時間はかなりヘビーだったようで。
途中 羊飼いの小屋あり。
羊飼いの避難場所でおそい昼ご飯の後、湖のほうへ行くにしてもコースの印が見つからない。もう湖をみないで帰ろうか迷ったけど、この崖の先にあるらしい。見えない先に待っている景色見たさに急な崖を上ることに。もう一度登ったら引き返せない。
のぼった先には湖が待っていたけれど、もう時間が4時近く。疲労困憊。崖の途中で上の娘の目に異物が入り目が開かない状態。これからこの状態での下山は危険でないか、暗くならないか、携帯ないし危険信号どうやって送ろうかと不安がよぎったとき。
ゆっくりと降りてくるリタイアのスペイン人2カップルに道を聞くと、『山を降りた先の駐車場に車を止めてあるから下まで連れてってあげるよ、もう少しで道路が通れるようになるから。』ということで救われたのでした。
彼らは 道路が閉鎖される前、つまり9時前に到着して、湖の周りを一日中山歩きをしたようで、疲れてそうだったけど、なぜか我々よりも表情があかるい。
車でくねくね道路を降りてみると、トンネルの先までかなりあって、一気に標高が下がった感がありました。つまり私たちは3時間でかなり登ったということでしょうか。そんなことを考えるとさらに疲労感が倍増。スペイン人たちも[えーっこれ登ったの?]と驚いてましたが。
それでも山パワーをもらった気がします。やはり山はいいです。でも風邪を吹き飛ばすに至らず、あー、熱あるかも。
そんななかでも 戻ってちゃんと料理はしました。
なんとなく郷土料理で惹かれるものもなく、[カタルーニャの田舎料理、オムレツとか。]家でのんびりしたかったもので。 レストランも20時オープンとやはりスペイン風に遅めです。
食料品は若干高いですが、しょうがないですね。すべて[輸入もの]だし山奥まで運ぶのですから。
ただしスペインとフランスのスーパーで見られるものがミックスされているのは面白い。
魚は冷凍です。まあこれもしょうがないですね。野菜も新鮮ではない。まあまとまった土地がないですから、これもスペインからの輸入ものでしょうかね。
でも肉の質はよかったです。
牛のいない地中海から来てますので、迷わすステーキにしました。
これでキノコの収穫があれば付け合わせに良かったんだけど。
スペインの生ハムとかのおつまみ類、リオハのワイン、フランスのボルドーや ブルゴーニュのワインも少し安く買えるので、飲み助にはうれしい次第。
娘の目の消毒で、薬局に行きましたが、これもスーパー同様フランスとスペインの薬のミックスです。薬はやはり慣れているフランス製を選択。オメオパシーもあります。
気づけば 郵便ポストも フランスのものとスペインのものと並んであるのも面白い。
夕方 市内の下校時間に行き合わせてしまったら、かなりの音量で、スペイン語[カスティリャ]にカタルーニャ語にフランス語[南の訛りがなくとてもきれい]が聞こえてきました。
スペイン系、フランス系、カタルーニャ系の学校があるようで、でもこの国に住んでいたら、全部自然にマスターできそうですね。
帰り道はペルピニョンへ向かう道を通りましたが、こちらはヘアピンカーブの応酬です。
途中で[カンキツ類の王様]と勝手にお呼びしている方に会いに行きました。
オットーの研修申し込み願いのためです。
まー、しかしこの王様はかんきつ類があるところ世界中を旅してきたようで、日本もかんきつ類が存在している東北以南の全てをまわったようです。柚餅子やザボン、シークワーサーなどの話で花が咲き。
次の日から天候が一気に崩れて大寒波のため、雪がふったりしました。ちょうど避けられて助かりました。フランス最南のコルシカ島でさえ雪がふって1000人もの人が道路で立ち往生だったそうです。
なんか似た話が。今年の2月モンペリエも異例の雪でパニック。高速道路で1晩あかさなければいけない人々でいっぱいでした。これもナントからの帰り道1日違いで避けられたものの、なんだか異常気象 頻繁に起きてませんか?
by atelier-cuisine
| 2018-11-14 20:03
| やま